宝塚でいろんな活動に取り組みました

  • 結婚から8年が経ち、住み慣れた社宅をでなければならず、宝塚市安倉南にローンでマンションを買って暮らし始めました。長男3歳、長女10か月のときでした。
  • 安倉では集会所を借りて“キンダールーム”を設立。当初の予想に反して大人気となり“キンダーっ子”なる言葉まで出来ました。子どもの自主性を大切にして“楽しくて、楽しくて仕方がない”場所づくりをしました。設立から32年経た現在も3代目の主宰者が続けています。この時の経験が今でも「子どもはすばらしい存在!」という私の基本理念になっています。
  • 1985年に当時の文部省から出された通達「学校給食の合理化」を受けて、おいしくて安全な宝塚市の学校給食を守るため、友人たちと「宝塚学校給食を考える会」というグループを立ち上げました。“食は命をつくる”という思いは、私の活動の原点です。

  • 社宅で暮らしていたころ。
    仲間で力を合わせて子育て真っ最中

  • 1987年。夫の転勤に伴って家族で熊本に引っ越しました。転勤直前に夫の母がくも膜下出血で倒れ、逝去するまでの2か月間一人で姑を介護しました。熊本にはアルツハイマーの義父もともに移り、介護を5年間しました。介護の苦労は身をもって体験しています。
  • 熊本でもPTA、給食の活動をし、「熊本市体罰をなくす会」を作り、子どもたちを守るために行動。市民活動や介護をしながら、熊本大学に通い、文学や社会学も学びました。
  • 熊本から宝塚に戻り、父とインドネシアに旅行。それが縁で、乾燥糸こんにゃくを販売する会社「トレテス」を設立。

40歳のころ。
熊本でも学校給食の活動を頑張りました